多くの短編小説を執筆した太宰治。『女生徒(Schoolgirl)』もそのうちの一作で、昭和初期の女学生の一日が彼女の独白という形で書かれています。感受性豊かな十代の女の子の心情が綴られたこの作品を読むなら、太宰治の作風の幅広さを思い知らされるのではないでしょうか。今回は、『女生徒(Schoolgirl)』に登場する珠玉の名言の英語版をご紹介します。
Schoolgirl (Modern Japanese Classics)
Mornings seem forced to me. So much sadness rises up, I can’t bear it.
(朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない。)
I can’t bear itとは、我慢できない、耐えられないという意味です。同じ意味の表現にはI can’t take it、 I can’t stand itがあります。
It’s a lie when they say you feel healthy in the morning. Mornings are grey.
(朝は健康だなんて、あれは嘘。朝は灰色。)
どんより曇った日のことをgray dayというように、Mornings are greyで、どんよりした朝をありありとイメージできるのではないでしょうか。スペルに関しては、アメリカ英語だとgray、イギリス英語だとgreyになります。
Mornings are torture.
(朝は、意地悪。)
名詞形のtortureには、拷問、生き地獄、責め苦という意味があります。英語で意地悪はmeanやspitefulですが、これらは人に対して使う表現ですから、tortureがふさわしいといえるでしょう。
I like to take my glasses off and look out into the distance. Everything goes hazy, as in a dream, or like a zoetrope—it’s wonderful. I can’t see anything that’s dirty.
(眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚いものなんて、何も見えない。)
覗き絵とは、内側に絵が描かれた円筒を回転させ、動画のように見せる器具のことです。イギリスの数学者であるウィリアム・ジョージ・ホーナーによって発明された覗き絵は、当初はDaedaleum(ディーダリウム)と呼ばれていました。この発明がアメリカに伝わったときにZoetropeと改名され現在に至ります。
I also like to take my glasses off and look at people. The faces around me, all of them, seem kind and pretty and smiling.
(眼鏡をとって人を見るのも好き。相手の顔が、皆、優しく、きれいに、笑って見える。)
眼鏡を取るは英語でtake off one’s glasses、眼鏡をかけるはwear glassesです。
Any sense of your face disappears when you put them on. Glasses obstruct whatever emotions that might appear on your face—passion, grace, fury, weakness, innocence, sorrow.
顔から生まれる、いろいろの情緒、ロマンチック、美しさ、激しさ、弱さ、あどけなさ、哀愁、そんなもの、眼鏡がみんな遮ってしまう。)
情緒とは一時的で急激な心の動き、微妙な感情のことで、英語ではemotionと訳すことができます。
Summer seems to come from a cucumber’s greenness. The green of a May cucumber has a sadness like an empty heart, an aching, ticklish sadness.
(キウリの青さから、夏が来る。五月のキウリの青味には、胸がカラッポになるような、うずくような、くすぐったいような悲しさが在る。)
夏野菜を代表するキュウリ。キュウリの青臭さはキュウリアルデヒドと呼ばれる成分が原因ですが、あの青臭さがあるからこそ夏が来たと感じられるのかもしれませんね。
What a girl likes and what she hates seems rather arbitrary to me.
(女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。)
形容詞のarbitraryには任意の、無作為なという意味のほかにも、気まぐれなという意味があります。
Given my lack of experience, if my books were taken away from me, I would be utterly devastated.
(自分から、本を読むということを取ってしまったら、この経験の無い私は、泣きべそをかくことだろう。)
utterly devastatedとは、すっかり打ちのめされてしまう、非常にショックであるという意味です。ちなみに、泣きべそをかくという英単語はwhimperです。
If I were to experience failure upon failure day after day—nothing but total embarrassment—then perhaps I’d develop some semblance of dignity as a result.
(失敗に失敗を重ねて、あか恥ばかりかいていたら、少しは重厚になるかも知れない。)
Failure teaches success.(失敗は成功のもと)と言いますが、何度も失敗すれば重厚になる、もしくはthick skin(面の皮が厚い)になるかもしれませんね。
The truth is that I secretly love what seems to be my own individuality, and I hope I always will, but fully embodying it is another matter.
(自分の個性みたいなものを、本当は、こっそり愛しているのだけれども、愛して行きたいとは思うのだけど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。)
Embodyとは体現する、具現化するという意味です。おっかないが直訳されてはおらず、be another matter(別問題である)と英訳されています。