世界のリーダーたちが憧れてやまないウィンストン・チャーチル。イギリス史上もっとも偉大なイギリス人と名高い彼は、類まれな英語力を持っていました。今回は、イギリス第63代首相ウィンストン・チャーチルの武器となった、高い英語力の秘密をご紹介します。
■勉強が苦手だった少年時代
軍人かつ従軍記者、作家であり政治家でもあったウィンストン・チャーチル。政治家の家に生まれ、エリート街道まっしぐらだったにもかかわらず、必ずしも恵まれた少年時代を過ごした訳ではありませんでした。
65歳で首相になったウィンストン・チャーチルは、ナチスに屈することなくイギリスを勝利に導いた偉大なる人物です。しかし、少年時代は勉強が苦手で、成績は下から数えたほうが早かったといいます。また、勉強も運動も得意ではなかったのにプライドだけは一人前だったらしく、人付き合いもうまく出来ない少年でした。
あまりの問題児っぷりに、校長から体罰を受けることもしばしば。見兼ねた母親のすすめで転校することになったチャーチルですが、転校先でも態度を改めることはありませんでした。
■徹底的に「国語」を学んだチャーチル
古典がまったくダメだったウィンストン・チャーチルは、パブリック・スクールのハーロー校で徹底的に英語を学びます。来る日も来る日も英語の構文解析をする羽目になった彼は、長文を解剖して色分けする作業を行い、英語の文章構造を頭に叩き込みました。そのおかげもあり、劣等生として有名だったウィンストン・チャーチルは、素晴らしい英語の文章が書けるようになり、やがて校内雑誌に寄稿するようになったといいます。
チャーチルは、ふつうの生徒たちの3倍も構文の勉強に励みました。彼は気分のムラが激しく、勉強に集中できないことが多かったようですが、構文を学ぶことで集中力を養うことができたのかもしれません。構文の勉強なんてまるで日本の受験英語のようですが、ウィンストン・チャーチルのように完璧な英語の文章が書けるようになるなら、大学受験をする予定はなくても勉強する価値は十分にあるでしょう。
また、チャーチルの語彙数は約6万5千語もありました。勉強嫌いな彼が、イギリス人の平均的な語彙数の2倍以上ものボキャブラリーを有していたのは、やはり構文の勉強の影響もあったといえます。
■ウィンストン・チャーチルの名演説ができるまで
軍人になったチャーチルですが、除隊後は民間ジャーナリストになって戦地に赴きます。その後、下院議員に当選しますが、子どもの頃から吃音障害に悩んでいた彼は、初めて登壇した際にうまく話せず、恥ずかしい思いをしました。その後も、演説中に暗記していた原稿内容をすっかり忘れてしまうという失態を犯します。しかし、ウィンストン・チャーチルはそのような失敗をものともせず、イギリス各地だけに止まらず、アメリカやカナダでも講演会を開きました。
ロイド・ジョージ首相時代には、海軍大臣や植民地大臣、財務大臣など、次々と政治の主要ポストに就任し、政治家としてのキャリアを着々と築いていきます。しかしながら、失敗を犯した末に、罷免されたこともありました。挫折を経験しながらも、有り余る時間を本を読むことや原稿を書くことに費やし、それらの活動が後の名演説の糧となります。ウィンストン・チャーチルがその生涯中に読んだ本は、5,000冊以上にも上るのだとか。文学や詩文はもちろん、歴史や科学、議会議事録やマンガまで、あらゆるジャンルを選り好みせず読んでいったといいます。
22歳でインド軍将校となって生まれて初めて演壇に立った日から、90歳で人生の幕を閉じるまでの間、約3,000ほどの演説原稿を書いたウィンストン・チャーチル。彼は、官僚用語と呼ばれる難しい専門用語は使用せず、どんな人でも理解できる易しい言葉を選んで原稿を書きました。卓越した英語力を持つウィンストン・チャーチルの演説原稿を読むことは、英語学習者すべてにとって有益でしょう。
イギリスでコロナウィルスの変異株が出たのは記憶に新しいと思います。また、その他の国でも別の変異株が現れています。こういう時こそ強い政治力を見せて頂きたい物ですが、コロナウィルスのような感染病の場合は、政治の力だけではどうしようもありません。国民が協力しないことには、いくら政治家が対応策を考えても感染拡大が治まることはありません。Webで翻訳も現在は在宅勤務となっておりますが、これまで同様に24時間365日ご利用頂けます。また、メールとなってしまいますがサポートも引き続き行っておりますので、ご安心してご利用ください。
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