明治の文豪といえば、夏目漱石を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。しかし、彼が作家として活躍したのはほんの10年ほどのこと。それ以前は英語教師をしていた夏目漱石ですが、実は学生時代は英語が大の苦手でした。今回は、英語教師にまでなった夏目漱石の英語力と、英語の勉強法をご紹介します。
英語嫌いだった夏目漱石
夏目漱石が英語を真剣に学ぶようになったのは、十代半ばのことでした。第一中学正則科を中退し、英語の授業がない二松学舎に編入しましたが、長兄から英語を教わっていたといわれています。
実の兄から英語を教わっていたからなのか、この頃の夏目漱石は英語が大嫌いでした。そうして英語の劣等生になった夏目漱石でしたが、16歳で入った成立学舎で一念発起します。
成立学舎では歴史や数学など、英語の授業以外の授業も英語で行われていました。それというのも教科書が英語版のものしかなく、授業も英語でするしかなかったからです。かつて英語が大嫌いだった夏目漱石は、英語を学ばざるを得ない状況に身を置くことになりました。
彼の英語力がもっとも伸びたのは、東京帝国大学時代でしょう。現在の東京大学で英文科を専攻した夏目漱石は、英文科のジェイムズ・メーン・ディクソン主任教授からマンツーマン指導を受けます。
2年後には東京専門学校講師として、さらには東京高等学校の英語嘱託となり、英語教師への道を歩み始めました。
夏目漱石がロンドンで挫折した理由
大学時代の夏目漱石は、その英語力を買われて「方丈記」を英訳しました。高い英語力を武器に愛媛県松山にある尋常中学校へ赴任した際には、校長よりも高い俸給で英語を教えることになります。
その後、文部省から英語の教育法を学ぶために2年のイギリス留学を命じられた夏目漱石は、約50日かけてイギリスに降り立ちます。意気揚々と異国の地に降り立った夏目漱石でしたが、経済的苦境に立たされ孤独に苛まれたロンドン時代は、彼にとって「もっとも不愉快」な経験になります。ケンブリッジやオックスフォードは学費が高かったため、ロンドンに腰を据えることにした夏目漱石でしたが、彼はロンドンという地に最後まで馴染むことができませんでした。
その理由にはいろいろありますが、一つにはイギリスの労働者階級が使うなまりの強いコックニー英語が理解できなかったことにあるといえます。もちろん、当時の夏目漱石の英語力はずば抜けていましたし、英語を母語とする人々から英語力を誉められることも度々ありました。
しかし実際には、高い英語力を有すると自負していたにもかかわらず、現地で英語に苦労したことが、彼にダメージを与えた結果になってしまいました。
夏目漱石の英語学習方法まとめ
ロンドンで挫折を経験した夏目漱石は、極度の神経衰弱に陥って帰国します。帰国後は正岡子規の弟子の勧めで語学から離れ、作家として活躍するようになり大成功を収めました。
もしも、ドイツに留学した森鴎外のように留学生活を楽しむことができれば、きっと夏目漱石のその後の人生も変わっていたことでしょう。とはいえ、やはり夏目漱石の英語力や英語の勉強方法は素晴らしいものです。
夏目漱石が実践し、提唱した英語学習法は下記の通りです。
・わからなくても辞書など引かず多読する
・繰り返し読むことで自然な英語を習得する
・英語の発音をなだらかにするために詩などは頻繁に音読する
・ただし、思考を働かせて読むべき本は音読には向いていない
さすが明治の文豪だけに、勉強の基本は「本を読むこと」にあったようです。しかし、やみくもに多読することを勧めてはおらず、ある程度文法を勉強してから多読に移ると成果がある、と述べています。
ですから、英文法をしっかり学習した英語学習者であれば、次は多読と音読に時間を割くようにしてみてはいかがでしょうか。
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