翻訳の神髄?ヒエロニムスから学べる翻訳家の使命

レオナルド・ダ・ヴィンチやアルブレヒト・デューラーの絵の題材となっている聖ヒエロニムス。ライオンのとげを抜き、手当をしてあげたという伝説を持ち、四大ラテン教父のひとりに数えられる人物です。今回は、翻訳家がヒエロニムスから学べることについてご紹介します。

ヒエロニムスとは?

エウセビウス・ヒエロニムスは、西暦346年頃、古代ローマ帝国の属州であったダルマティアのストリドンに住んでいた裕福な家に誕生しました。ローマに留学して文法学者ドナツスに師事し、文法や修辞学などを熱心に学びます。

両親ともにキリスト教徒だったにもかかわらず、若き日のヒエロニムスは聖書を読むことよりも、プラトンやキケロなどの著書を読みふけり、異教の古典研究に傾倒していきます。その後、放浪の旅に出た彼はアクィレイアで禁欲主義に触れ、友人たちと共に数年の間、極端な禁欲生活を行いました。

ところが、27歳のときに友人たちとの間に揉め事が生じ、禁欲生活は終わりを告げます。再び放浪の旅に出たヒエロニムスは、アンティオキアで病気にかかり、神に裁かれる夢を見てクリスチャンとしての良心の呵責に苛まれることに。哲学書を捨てた彼は、シリアの砂漠で隠遁生活を送りながら、聖書を研究するようになりました。

学識豊かで語学に堪能な人物

ヒエロニムスは、語学に堪能な人物でした。母語はラテン語でしたが、哲学を学んだ際にギリシャ語も学んだといわれています。さらに、シリアの砂漠では土地の言葉であるシリア語を習得したばかりか、ヘブライ語の研究も始めました。

やがてアンティオキアに戻って修道士として活動し始めますが、教皇ダマススの目に留まり、秘書として召し抱えられます。当時、さまざまなラテン語訳の聖書が存在しましたが、どれも適切に訳されたものではありませんでした。そのため、ギリシャ語で書かれた福音書を正確なラテン語に訳すために、語学に長けたヒエロニムスが抜擢されます。

勉強熱心な翻訳家

翻訳家としてのヒエロニムスは、非常に有能でした。入手できるすべてのギリシャ語写本の文体と内容を比較して精査し、ラテン語に翻訳していったといいます。そうして福音書の翻訳を完成させましたが、「後世に価値のあるものを残したい」と、聖書全巻の翻訳に意欲を燃やします。

同時に、ヒエロニムスはヘブライ語を完璧に習得するために、ユダヤ人の家庭教師を数人雇います。クリスチャンと交友するのを好ましく思わないユダヤ人たちも多くいましたが、宗教の違いからくる偏見も、彼の学習意欲を挫くことはできませんでした。たゆまぬ努力の結果、ヒエロニムスは、難しいとされるヘブライ語の喉音まで正しく発音できるようになりました。

翻訳家の使命を全うした

ヒエロニムスはヘブライ語聖書の翻訳に取り掛かります。当時、ギリシャ語を話すクリスチャンの間で、広く親しまれていたのがセプトゥアギンタ訳の聖書でした。この翻訳版聖書は、西暦前3世紀に翻訳されたもので、神の助けのもと翻訳されたと信じられていたものでした。

ヒエロニムスはこのセプトゥアギンタ訳を基に、ヘブライ語聖書の翻訳を始めましたが、ここで問題が生じます。翻訳を進めるに連れ、セプトゥアギンタ訳に誤訳や矛盾点があることに気がつきました。悩んだ挙句、ギリシャ語写本に頼らずに、直接ヘブライ語本文から翻訳をすることに決めたヒエロニムスでしたが、神学者たちから大反対されます。

その頃、教会は東方教会(ギリシャ語話者)と西方教会(ラテン語話者)に分かれていました。もしヒエロニムスがヘブライ語本文からラテン語に翻訳したなら、依然としてセプトゥアギンタ訳を使用する東方教会との分裂が一層ひどくなる、と考えられていたのです。

しかし、ヒエロニムスの決意が揺らぐことはありませんでした。神への冒涜だと非難されても、彼は「より正確で信頼できる翻訳をすること」という、翻訳家としての使命を果たすことに務めます。西暦405年、ついにラテン語訳聖書が完成し、ヒエロニムスが翻訳した聖書は「ウルガタ訳」と呼ばれるようになりました。ウルガタ訳は多くの人に益をもたらしただけでなく、現在では貴重な参考文献と見なされています。

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