まるで英語のような日本語である和製英語ですが、いったいどのようにして誕生したのでしょうか?今回は、和製英語と和製英語の例としてよく取り上げられるカレーライスの歴史についてご紹介します。
和製英語のなりたち
日本人が英語を意識しはじめたのは、1808年10月に起こったフェートン号事件がきっかけだったといわれています。これは、長崎港にイギリス軍艦が侵入して人質にしたオランダ人たちを盾に、食料等を要求したという事件でした。そのとき、日本人はオランダが列強諸国ではなくなったというヨーロッパの現状を知り、英語を学ぶ必要性に気づきます。しかし、多くの日本人が英語に触れるようになったのは、フェートン号事件から半世紀以上も後のことでした。
明治維新後には、中学校や一部の尋常小学校で英語教育が導入され、文明開化と同時に、西洋文化や英語がどんどん日本に入ってきました。こうして外国からやってきた言葉はカタカナで表記されるようになり、日本語として取り入れられ、一部が和製英語として根付くようになります。
カレーライスは和製英語?
日本の和製英語にはいろいろな言葉がありますが、かつてはカレーライスもそのひとつに数えられていました。過去には和製英語だったカレーライスですが、現在は日本風カレーを英語でもカレーライスと呼び、和製英語(日本語)が英語に取り入れられています。とはいえ、日本以外のカレーに関しては、カレーアンドライス(curry and rice)と呼ぶのが一般的です。
カレーライスが日本に紹介されたのは、江戸末期のことでした。福沢諭吉が出版した「増訂華英通語」にカレーが登場しますが、カレーライスが広く一般庶民に知られるようになったのは明治時代に入ってからです。インド料理のカレーがイギリスの伝わり、1870年にはイギリスから日本にカレー粉が伝わります。
日本人ではじめてカレーライスを食べたのは、1871年に国費留学生として渡米した山川健次郎だといわれています。アメリカに渡る船の中で生まれてはじめてカレーライスに遭遇した彼は、カレーライスのごはんだけを食べたようです。1872年には、当時の高級官僚だったとされる敬学堂主人が出版した「西洋料理指南書」や、新聞記者の仮名垣魯文による「西洋料理通」の中でカレーライスの作り方が記されています。
ライスカレーからカレーライスへ
イギリスから日本に伝わったカレーライスですが、イギリスではカレーライスのことをカレードライス(Curried rice)、もしくはカレーアンドライス(curry and rice)と呼びます。興味深いことに、カレーライスが日本で広く知られるようになった明治時代には、カレーライスではなく、「ライスカレー」と呼ばれていました。
ライスカレーとカレーライスは同じ料理を指しますが、盛り方が異なります。ライスカレーはごはんとカレーを一皿にまとめたもの、一方カレーライスはごはんとカレーを別々の器に入れて提供したもので、高級レストランで提供されるものでした。
明治30年代から洋食屋の定番メニューになったライスカレーでしたが、現在のようにカレーライスという呼び方に統合されるようになったのは、ライスカレーがすっかり国民食として定着した1960年代の高度成長期頃のことだったようです。
和製英語も使用禁止?
明治時代から西洋文明を積極的に取り入れてきた日本でしたが、忠君愛国主義やアメリカで1924年に成立した排日移民法の影響で、日本の英語教育は一時衰退します。1937年に日中戦争が勃発すると、アメリカやイギリスとの対立が深まり、英語を「敵性語」として排斥する働きが活発になりました。
戦時中、栄養価の高さと集団食向きだったため軍用食になったカレーライスでしたが、敵性語に認定されてしまいます。そのため、戦時中にはライスカレーではなく、「辛味入り汁掛け飯 」と呼ばれていました。カレーライス以外にも、キャラメルは軍粮精、コロッケは油揚肉饅頭などと呼ばれ、和製英語のパーマも電髪と呼ばれていたのだとか。ただし、敵性語の排斥運動は民間主導だったので、英語や和製英語を多く使用している軍隊においては、緩い規制だったようです。