外国語を学ぶのは、とても楽しいことです。しかし、人によっては、言語を習得する道のりは長く険しいものであるかもしれません。中には、「ほんやくコンニャクが本当にあればいいのに」と思う人もいらっしゃるのではないでしょうか?今回は、ほんやくコンニャクを食べ過ぎた人ともいえる、偉大なる多言語話者をご紹介します。この記事を読めば、ハイパーグロットになるヒントを掴めるかもしれませんよ!
58もの言語を操ったハロルド・ウィリアムズ(Harold Whitmore Williams)
ギネスも認定しているハイパーグロットといえば、ハロルド・ウィリアムズです。
1876年、ニュージーランドのオークランドに生まれたハロルドは、ニュージーランドのメソジスト教会を率いた父親の元、古典文学を学ぶ機会に恵まれました。
それにもかかわらず、幼少期はそれほど勉強熱心な子どもではなかったようです。
ハロルドの言語能力が開花したのは、7歳のころでした。それ以降というものラテン語をはじめ、多くの言語の魅力に取りつかれた彼は、おこずかいをはたいてクライストチャーチの本屋であらゆる言語の新約聖書を買い漁りました。
彼の聖書と言語への愛は、一生涯衰えることがありませんでした。生涯を通して、ズールー語やスワヒリ語を含め、26の言語で聖書を勉強していたそうです。
ロシア語に傾倒し次々に言語を学んだ青年期
大人になったハロルドはジャーナリズムの道を進み、言語に関する本も出版しました。ロシアに移住したハロルドはジャーナリストとして筆をふるい、憧れの文豪であったレフ・トルストイと対談するまでに至ります。
トルストイとの対談で、なぜロシア語を学ぼうと思ったのかを尋ねられたハロルドは、「アンナ・カレーニナをロシア語で読みたかったんです」と答えたそうです。
憧れの文豪との対談を果たしたハロルドでしたが、政治的思想の違いから、二人の交友関係がそれ以上発展することはありませんでした。
その後第二次世界大戦後のロシアを引き上げてロンドンに居を据えたハロルドは、日本語・タガログ語・チェコ語・アルバニア語・バスク語・中国語などを独学で学びます。
そして、1921年にはタイム誌のライターに迎えられ、さらに翌年には外国語編集者として働くようになりました。
ところが、1928年にタイム誌の社命でエジプトに赴き、詳細は不明ですがそこで不慮の事故に遭い、ついには帰らぬ人となったのです。
ロシア人よりもロシア人らしく、正しいロシア語を話した外国人として知られたハロルド・ウィリアムズは、58の言語をマスターしていたといわれています。
ハロルドから学ぶハイパーグロットになるヒントとは?
日本ではほとんど知名度がないに等しい、言語の天才ハロルド・ウィリアムズについてサクッとご紹介しましたが、彼のようなハイパーグロットになるためにはどうすればよいのでしょうか?
まず一つ目に、ラテン語の習得に注目することができます。
興味深いことに、ハイパーグロットと呼ばれる言語の天才たちは、外国語を学ぶ初期の段階でラテン語を学んでいることが多いものです。
そもそも口語としては死語といえるラテン語は、多くの言語の基礎を成します。ですから、ラテン語を学ぶことは、それら多数の言語の基礎をマスターしたことになるでしょう。
さらに、ハロルド・ウィリアムズは熱心な読書家であったことがわかります。特に聖書を多言語で学ぶことにより、より一層知識を深めたと理解できるのではないでしょうか。
最後に、ハロルド・ウィリアムズは決して文法を学ぶことをなおざりにしておらず、正しい文法を身につけられるように常に努力をしていたことがわかります。
もちろん、これら上記の方法をすべて実践すれば必ずハイパーグロットになれる保証はありません。
しかし、よく「言語を学びたかったら、文法に絞られるよりも実践(話すの)が一番」といわれていますが、ハロルドのようなハイパーグロットになりたいのであれば、文法の習得も後回しにしないようにしたいですね。
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