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【翻訳の歴史】意外と知られていない初めて翻訳された作品とは?

はるか昔から行われてきた翻訳。翻訳なくして、人類の発展はなかったことでしょう。翻訳の歴史を知れば、翻訳が人類にとっていかに重要なものであるのかを再認識できるはず。そこで今回は、翻訳の歴史をご紹介します。

翻訳のはじまり

翻訳のはじまりについては、さまざまな説があります。最初に翻訳が行われた地域についても、いくつかの説が存在し、研究者たちの間でも意見の対立が見られます。そんな中、もっとも有力な説とされているのが、メソポタミア時代に翻訳がはじまったとされる説です。人類最古の文明とされるメソポタミア文明は、紀元前4000~3100年頃にはじまったとされており、およそ1000年間続きました。天文学が発達していたメソポタミア文明のもとで生まれた60進法や7曜制は、現在のわたしたちの生活にも大いに影響を与えています。

世界最古の物語「ギルガメシュ叙事詩」は、メソポタミア文明にて誕生しました。現存する最古の写本は紀元前2000年紀初頭のものとされ、原本は残っていません。多くの研究者たちは、シュメール語で書かれたこの物語こそが、人類初の翻訳作品であると主張しています。「ギルガメシュ叙事詩」は、アジアのさまざまな言語に翻訳されました。

ほかにも、紀元前196年に古代エジプトのプトレマイオス5世によって、メンフィスで発行された勅令が刻まれた石碑「ロゼッタ・ストーン」が、最初の翻訳作品だという説もあります。ロゼッタ・ストーンには、古代エジプト語の神聖文字「ヒエログリフ」、民衆文字である「デモティク」、そして「ギリシア文字」が刻まれていました。

古代ギリシア語と翻訳

古代ギリシアにおいて、ギリシア人たちには他言語を翻訳するという概念はなかったようです。古代ギリシア文明が、古代ローマに占領されるまで栄華を誇ったことを考えれば、当然のことかもしれません。自分たちの文化や言語に誇りを持っていた彼らは、翻訳によって他の国の文化を取り入れる必要はないと考えていたようです。このようにギリシア人たち自ら、自国の文化を翻訳して伝えることはなかったようですが、古代ローマの詩人たちは、古代ギリシア語で書かれた作品を数多く翻訳しました。

積極的に他言語に翻訳されなかった古代ギリシアの文明や学問ですが、  その内容については広く知られています。これは、アラビア語の学者たちが行った翻訳作業のおかげです。古代ギリシアが征服された後、ギリシア人たちが残した科学的・文学的な遺産の多くは、古代ローマに受け継がれました。ローマ帝国衰退後、約1000年の間封印された古代ギリシアの知の遺産は、アラビア人たちの手によって発掘され、発展することに。アラビアの学者たちは、古代ギリシアの哲学や科学、文学をアラビア語に翻訳する作業を熱心に行いました。彼らのおかげで、古代ギリシアの知の遺産はアラビア語からラテン語に翻訳され、ルネサンス期における学問の基礎となりました。

翻訳と宗教

ヨーロッパにおける翻訳の発展には、宗教が大きく関わっていました。多くの言語に翻訳することで、キリスト教の思想を広く伝えることができるからです。ギリシャ語やヘブライ語で書かれた聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスは、翻訳の守護聖人・聖人ジェロームとして知られています。彼が完成させたウルガタ訳聖書は、ローマカトリック教会で使用されました。その後、プロテスタントの登場により、さらに翻訳の必要性が生じます。

ところが、命がけで翻訳をしなければならない時代が到来します。ラテン語が廃れると、ラテン語で書かれた聖書は、教会関係者を含め、一部の教養ある人々にしか理解されなくなりました。一般の人々が聖書を読めるように翻訳する必要が生じましたが、教会関係者たちは、ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語で書かれた聖書以外を認めず、それらの言語以外に聖書を翻訳することは大罪とみなされます。それでも、勇敢な翻訳者たちは教会からの弾圧に屈することなく、聖書を翻訳する作業を行いました。ヨーロッパにおける翻訳は、自らの命を顧みずに翻訳を行った翻訳者たちのおかげで、大きく発展したといえます。

  

  

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トルコ南部を震源とする地震について

このたび、トルコ南部で発生した大規模地震において亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災された皆さまに心よりお見舞いを申し上げます。被災地の一日も早い復興を、株式会社インフォシード一同、心からお祈りしております。

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