日本の花火大会は夏に開催されるのが常ですが、イギリスでは11月に大規模な花火大会が行われます。冬空に打ちあがる花火もまた一興ですが、今回はイギリスで花火と共に祝われている「Guy Fawkes Night(ガイ・フォークス・ナイト)」についてご紹介します。
ガイ・フォークス・ナイトとは?
火薬陰謀事件
1605年11月5日、イギリス国会議事堂の開院式に出席する国王ジェームズ1世らを爆殺する計画が、ガイ・フォークスの逮捕によって未然に防がれました。陰謀の首謀者はガイ・フォークスではありませんでしたが、ロンドン塔にて苛烈な拷問にかけられた結果、ついに事件の全貌を白状し、ほかの容疑者たちが次々と逮捕されます。これが、「火薬陰謀事件」と呼ばれる騒動です。
ロンドンにある国会議事堂爆破が未遂に終わったこと、ジェームズ1世の命が救われたことを祝い、翌年に11月5日は「ガイ・フォークス・ナイト(デイ)」として祝日に制定されました。この日には、ガイ・フォークスに似せた人形を曳き回し、最後に篝火で焼く行事が行われましたが、現在ではBonfire Night(ボンファイヤー・ナイト)と呼ばれる花火大会に変わっています。
事件の背景とガイ・フォークス
1603年に即位したジェームズ1世は、宗教政策として国教会優遇の政策を取ることを宣言します。これは、清教徒はもちろん、カトリック信者にとっても不遇の時代が続くことを意味しました。母親の再婚相手がカトリック教徒だったため、影響を受けたガイ・フォークスは、カトリック教徒が統治する国を取り戻すためにロバート・ケイツビーらが立てたジェームズ1世の暗殺計画に参加します。
彼らは上院近くの家を借り、ほぼ1年をかけて地下にトンネルを掘って火薬の入った樽を運び込みました。ところが、密告されてしまい、爆破予定日当日に治安判事らが乗り込んできます。こうして、火薬の見張りと点火を行うために地下室に残されたガイ・フォークスは、捕縛されることになりました。
ガイ・フォークスは拷問を受けますが、その後については、八つ裂きの刑にされた説と処刑を逃れようと飛び降り首の骨を折って死亡した説があります。
後世に影響を与えたガイ・フォークス
ガイ・フォークスにまつわる英語の詩
詩人ジョン・ミルトンによって、ガイ・フォークスにまつわる次のような詩が書かれました。
Remember, remember the Fifth of November, (忘れるな、忘れるな11月5日を)
The Gunpowder Treason and Plot, (爆薬の反逆と陰謀の日を)
I know of no reason (この事件が)
Why the Gunpowder Treason (忘れ去られるべき理由は)
Should ever be forgot. (どこにもないはずだ)
しかし、イギリス人にとって一大事だったこの出来事も、最近ではハロウィンに取って代わられているようです。
ガイ・フォークスは権力への抵抗の象徴
「ガイ・フォークス・ナイト」は、ガイ・フォークスらテロリストへの勝利を祝う日です。一般的には悪人とみなされているガイ・フォークスですが、興味深いことに、彼は権力への抵抗の象徴でもあります。2005年に製作された映画「「Vフォー・ヴェンデッタ 」では、独裁政権に立ち向かう主人公がガイ・フォークスのマスクを付けていました。ハッカー集団「アノニマス」は、権力を悪用した人物に狙いを定めてサイバー攻撃を仕掛けますが、彼らのシンボルはガイ・フォークスのマスクです。ちなみに、アノニマス(anonymous)には匿名という意味があります。
一説によると、ガイ・フォークスが関与した火薬陰謀事件は、ジェームズ1世が自分の人気取りのためにでっち上げた事件だと考えられています。もしこの説が本当だったとしたら、ガイ・フォークスは極悪非道のテロリストなどではなく、無実の罪を着せられたかわいそうな犠牲者ということになるでしょう。
↓この記事が「いいね!」と感じましたら下のバナーをクリックお願いします!↓