インドネシア語翻訳の勉強は多読で!おすすめのインドネシア人作家をご紹介

1958 年に正式な外交関係が成立して以降、インドネシアと日本の経済関係は緊密なものとなっています。インドネシアへの投資もますます拡大する動向を見せており、今後も両国の関係はさらに緊密化していくでしょう。それに伴い、インドネシア語翻訳の需要が高まっています。本記事では、インドネシア語翻訳の学び方とおすすめのインドネシア人作家をご紹介します。

インドネシア語翻訳の勉強の仕方

英語に比べるとインドネシア語の教材は少なく、どうやってインドネシア語を学習すればよいかわからないという人もいるのではないでしょうか。ましてや、インドネシア語の翻訳家になるための勉強ともなれば、留学しか手段がないように思えるかもしれません。とはいえ、誰もがそう簡単に留学できるものではありませんから、別の方法で勉強をする必要があります。

どの言語の翻訳家を目指すにしても、翻訳の勉強方法は同じです。翻訳に携わるときには調査力や専門知識が求められますが、文法の知識と読解力、表現力が十分に備わっていなければ良い翻訳は完成しません。それらを身に付けるためには、日本語と翻訳対象言語の文章をできるだけ多く読み、可能な限り書く練習をしましょう。

読んだ文章はやがて「血」となり「肉」となり、語学学習者を立派な翻訳家へと形作っていきます。多読は誰でも実践可能な学習方法のひとつですから、やる気さえあるなら誰もが翻訳家になれる可能性があるのです。もしもインドネシア語翻訳の仕事に就くことを考えているのであれば、たくさんインドネシア語の文章を読むことをおすすめします。

インドネシアの有名作家

Andrea Hirata(アンドレア・ヒラタ)

アンドレア・ヒラタさんは、スマトラ島とカリマンタン島の間にあるブリトゥン島に生まれました。インドネシア大学経済学部を卒業後は、フランスの大学で学び、後にイギリスのシェフィールド・ハラム大学にて経済学を専攻し修士号を取得します。インドネシアに帰国後は電気通信会社テレコムセルに勤務し、2005年に小説家としてデビューしました。彼のデビュー作品である「Laskar Pelangi」はいくつかの言語に翻訳され、インドネシア国内ならず、海外でも高く評価されます。「Laskar Pelangi」を日本語にすると虹の兵士ですが、日本語版は「虹の少年たち」にタイトルが変更されています。

Dewi Lestari(デウィ・レスタリ)

バンドゥン生まれのデウィ・レスタリさんは、作家・歌手として有名です。インドネシア国内ではDee(ディー)の愛称で親しまれており、2001年に「Supernova」を発表して作家デビューします。2006年発表の「Filosofi Kopi(コーヒー哲学)」は、2015年に映画監督のアンガ・ドゥイマス・サソンコさんによって映画化され、人気を博しました。

Pramoedya Ananta Toer(プラムディヤ・アナンタ・トゥール)

インドネシアでもっとも有名な作家といえば、プラムディヤ・アナンタ・トゥールさんでしょ。同盟通信社ジャカルタ支局でタイピストとして勤務していたプラムディヤ・アナンタ・トゥールさんは、1946年に最初の作品を発表します。その後、インドネシア独立戦争に参加しますが、1947年にオランダ警察に逮捕され2年間の投獄生活を余儀なくされます。釈放された後、本格的に創作活動に取り組みますが、1965年にインドネシア共産党関係者との関係を疑われ、政治犯としてインドネシア政府によって拘束されます。1969年にはブル島に流刑となり、収容所で10年以上過ごすことに。そのときの体験を綴った作品「Bumi Manusia(人間の大地)」は、さまざまな賞を受賞しました。

Tere Liye(テレ・ライ)

インドネシアのベストセラー作家で多作なことで知られているテレ・ライさん。2005年に最初の作品を発表し、人気作家としてのキャリアをスタートさせました。2014年に発表した「Bumi(地球)」は、インドネシアの本好きな子どもたちを熱中させます。この冒険ファンタジーシリーズは現在11作まで刊行されており、英語にも翻訳されました。

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